李郎子の壺1李郎子の壺2李郎子の壺3李郎子の居た風景

李郎子が作った壺それも晩年の窯で作ったと思われる製品である。

久我を中国読みにすると(きゅうわ)と読むようです。赤穴内蔵助は、号を久我と名乗っていたようです。
その証拠は、李郎子の壺と同じ作りの水差しが、毛利秀元の神社から出てきた水差しの口当たりに九つの輪が彫り込んであります。時の朝鮮では、名を刻んでいますが、中国では、そのような風習はありませんでした。李郎子は、自分の名を九つの輪を刻むことでキュウワと刻んだのでしょう。

だから、李郎子の墓には、(九輪)久我禅定門と書かれていますから、李郎子の墓に間違いありません。


最後の写真は、李郎子が居たところの前風景である。この先が、柿木村となる。