新たに見つかった李郎子の作品。
なぜ李郎子の物と分かるのかは、李郎子は、九輪を彫り込んでいるからである。
元々久内の名前を内だけ取り内蔵助としていたが、陶号は、久我即ち九輪どちらもキュウワと読み李郎子のことである。
先日上の作品を出品された伊藤家にお邪魔したところ其処にあったのは李郎子が養子三輪休雪に焼き物を教えて作らせた作品があった。
ここは、益田家の領地であり、李郎子は最初から益田家が匿った陶工である。
萩に於いては、益田家の仮寺広厳寺に初期三輪家の位牌があった。
しかし武林只七の娘が来た後殿様の菩提寺に檀家替えされている。
江戸時代勝手に檀家を変えることはできない時代である。
ならば萩に於いて三輪家は特別な存在で隔離されたようである。
まだ李郎子と共に密かに窯を築いていた須佐の山奥に備前より陶工が来ているのである。
その家は今も窯元で一五代目である。
此処に彼らの作品が存在しているのである。
茶碗の底に絵のような模様が付いていて磁器である。