萩焼陶工八十三歳の総括(3)
そうでなくとも、焼き物に対する取り組みが「頭でっかち」であったところに、いきなりの大学入学?で収拾つかなくなってしまったのが当時の状況であり、整理の付かない作陶生活が続く要因となったように思います。
キリスト教の牧師さんでありながら、京都の大徳寺や相国寺の住職さんなど次々に紹介していただき、「お話を聞く中で萩焼のお茶碗作りの大切なところを押さえなさい」とアドバイスしていただいたのです。
正直頭は混乱状態になりました。自分の作陶の方向性、目標もしっかり把握できませんでした。しかし作陶の主体がお茶碗に向かってスタートしたことは確かです。
何もわからないところから大きな夢の始まりでした。まず手始めは「名品茶碗」を見ることからスタートしたのです。あの頃はお茶碗の名品展や有名作家の新作展など、いつもどこかでやっているような環境でした。しかし実際には見ると言っても限度があり、実見したとなればごく僅かなものでした。
となれば、私の知識欲?はお茶碗の「本」の蒐集に向かいました。当時は焼き物に関する本は次から次と刊行され、お金が追いつかない状況でした。中でも強い印象で残っているのは、清水の舞台から飛び降りた思いで一冊十万円の五冊セットを買ったことです。この本はとても有効だったと今も思っていますが、後日、この著者にお目にかかって話す機会があり、その本のことに話が及んだとき「あの本は茶碗の好きな人が見るものであって、作る者が見るためのものではない」と言われた。今ではしかりその通りと思いながら、写真からいろんなイメージを引き出すことも出来て、言われるほど無益な本ではないと思っています。
本に寄りかかったところで茶碗作りの一から始めたのですが、さて、選択?の善し悪しはどうだったのか、今でもはっきりした結論には至っておりません。
それよりも、大徳寺大仙院の尾関南岳ご老師から聞いた
「茶碗に何を表現するのか、今は流行のように自分を表現すると言うけれど、自分が空っぽではどうあがいても表現する中身がない」
続けて、茶の心は仏教にあるから、仏教を学び精進すれば、自ずと作品は出来てくる。と言うようなことを言われました。
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